我が家には小学生(低学年)と幼稚園に通う5歳の、二人の息子がいます。
私が母親になってはや数年。
長男を妊娠したときに思っていた
「子供が生まれたらこんなことしてあげるんだ」
「絶対に理不尽なことでガミガミ怒らずにほめて育てるんだ」
という願望はというと…
ちゃんと叶えられたこともあるけど、全然叶えれてないこともたくさんあります。
自分が理想としていた母親像になれなくて、そのたびに「自分ってほんと子育て向いてないな…」って落ち込むこともしばしば。
それは長男が小学生になった今でも、常々心のどこかにあるような気がします。
長男が宿題をなかなかしなくてキイーーッとなったり、次男が朝からワガママ炸裂で「いいかげんにしろぉぉぉーー!!」となったり。
絶対やらないんだ!と思っていた“理不尽なことで怒る”も、たまにやっちゃってます…。


でも最近一つだけ変わってきたことがあって。
それは「子育て向いてなくても別にいいんじゃない」ってやっと自分を肯定できるようになったこと。
開き直り、かもしれませんが、やっと自分で自分を肯定できるようになった。
そのことがものすごく私をラクにしてくれました。
だから「私って子育て向いてないな…」って落ち込んでる人がもしいたら、意外とそんなことないかもよ?
てか別に向いてなくてもいいんじゃないの?
子供の望むことを何から何までしてあげることが愛情じゃないんだよ。
…と子供が小学生にまで成長した今やっと、私もそう思えるようになりました。
そんな話を書いてみたいと思います。
「子育て向いてない」ってそもそもどういうことなのさ?
「私…子育て向いてない…」と過去に何度も落ち込んできた私ですが、そもそも子育てが「向いてない」ってどういうことなんでしょうか。
子育てに向き不向きがあんの?
子育てに向いてる人ってどんなのよ?
子育てに向いてないったって、子供のお世話とかは一応してるよ??


なってきたYO…!
育児ってほんと大変ですよね。
スーパーに行くだけで「あれ買って!これ買って!」と駄々こねられて、床に寝転がられて、それをなだめて時には引きずって連れて帰る。
公園に行けば何時間遊んでも「帰らない!」と言われて、最終的にはムリヤリ引きずって連れて帰る。

今日の朝はパンがいいというからパンを出したのに、「これじゃない」「ごはんがいい」と結局食べなかったり。
そういう子供の欲求まるだしな理不尽なことも、「もう、、仕方ないわねぇ」とため息つきながらも笑顔で対応するのが子育て向いてるお母さんって感じがします。
きっと子供のペースに合わせられる人が、子育て向いている人なのかなと。
子供のペースで動いても苦にならない人。
私は完全に真逆で、せっかちで焦りやすい性格なので、子供のペースに合わせて動くことがすごく苦手です。
だから子育て向いてない、と時々感じます。
落ち込むのは自分の中に理想があるから
子育て向いてないな~と思っても、落ち込まない人もいると思うんですよね。
または子供にガミガミ怒ってしまっても、「向いてないな」とは思わない人。
そもそも向いてる・向いてないの概念がない人。
きっと自己嫌悪になって落ち込む人は、自分の中で母親像に理想があるはず。
たとえば
- お菓子を手作りするのがいい母親
- 子供が悪いことをしたら「怒る」のではなくて「さとす」のがいい母親
- 理不尽なことで怒るなんて最低
- 子供が遊ぼうといってきたらちゃんと遊ぶ
などなど。
これは私の中でなんとなくある理想の母親像なんですけど…どれもできていません。笑
手作りのお菓子はたまーに作るかな…ほんとに数か月に一回レベル。
だいたい市販のお菓子か、作ってもフルーチェ。(これは手作りに入る…?)
また子供が悪いことをしたら、理由をちゃんと聞いて「怒る」のではなくて「さとす」ようにしましょう。
ってのも育児書や子育て雑誌で当時よく見かけましたが…

毎回ムリです…
イヤイヤ期の子供抱えて怒らないとか、私にはムリすぎて…
でもきっとこれも程度の差こそあれど、子供に合わせてあげられる人はいるんだと思います。
そういう人は子育て向いてるんでしょうね。
結局何がいいたいのかというと、いい母親像っていう理想を自分で勝手に決めて、それになれないから「私子育て向いてない」って感じてたのかな、と思います。
自分の苦い経験からの理想…
もちろん「こういう母になりたい」とか「こんなことを子供にしてあげたい」とか、みんなそれぞれあると思うんです。
もちろん私にもあって。
私の場合、それは自分が子供の頃に体験していやだったことを子供にはしない、というネガティブなことなんですけど。
私の母は子供のことは自分が何でも決めたい人で、音楽も「これを聴きなさい」とクラシックばかり流したり、学校で流行ってたテレビも見せてもらえなかったことがあって。
当時友達の話題についていけなくて、高学年の頃はしんどかった記憶があります。
自分が母となってようやく「あれは母なりにいい教育を…と思ってくれてたのかもしれない」
と思えるようにはなったけど、やっぱり今でも覚えてるくらいしんどかった。
そういう自分の苦い経験があるから、子供には流行りのテレビも見せてるし、すぐ飽きるかもしれない戦隊もののおもちゃも買ったりしています。

できるだけ「子供が今生きている社会」を想像して、子供が友達と過ごしやすいように、ということを一番に考えてます。
これだけは自分の中で理想というか自分がなりたい母親像?ということで、唯一実践できてるかな、、と思う部分。
それ以外は自分の理想の母親像にはなれてないですね…。
いっつもガミガミ叱っちゃって、夜、子供たちの寝顔を見て「あ~…今日もやっちまったな…」と落ち込んで、結局また次の日ガミガミ叱ってしまいます…。

反省しつつ開き直ってきた自分もいる
と何が書きたいのかちょっとわからなくなってきたのですが、
とりあえず理想の母親にはなれないし、ならなくてもいいんじゃない?と最近ようやく思えるようになってきました。

あなたはあなた
だって子供が生まれたからって、自分の性格がいきなり変わるわけでもないですよね。
私も基本はぐうたらで、乗り気がしないことは期限ギリギリまで放ってしまって、「あ~そろそろやらなきゃ…」とやっと重い腰をあげるタイプ。
人に迷惑かかりそうなことはさすがに早目にやるけれど、自分のことはほんとギリギリまで見ないふりをして、夫によく小言を言われています。笑
子供が小学生になってやっと、もうね~これでいいんだ!って思えるようになってきました。
自分の理想を勝手に自分に押し付けて、がんじがらめにしていたのは自分。

それにね、最近ようやく気付いたんですけど。
子供たちも母親である私が色んなことしてあげるよりも、ただ笑って一緒にいるだけのほうが嬉しそうなんです。
以前は夜寝る前に絵本の読み聞かせをしていて、しんどくても読んでたんですけど、まぁ疲れて嫌々なのが伝わってたんでしょうね。
絵本の読み聞かせは国語力アップにつながるとか、本が好きになるとか聞いてしてたんですけど。
最近は何も読まずにみんなで布団に入って、ただただ話をしているだけ。

でもそれでいいんだなーと。
子供たちはいっぱい話したいことがあって、私はただ聞いてるだけなのだけど、すごく嬉しそうなんですよね。
あぁ子供たちはこれだけでも幸せなのかもしれないなぁ、なんて勝手なことを思うようになりました。
私も子供の頃、学校から帰って母につきまとって色んなことを話すのが好きでした。
理想の母親像ってのは私だけが思っていることで、子供たちはただただ私を好いていてくれてるんだな…って。
子供たちが思春期になればまた変わってくるのかもしれないけど、今は無条件で好きだと言ってくれる子供たちに感謝、ですね。
子育て向いてない、でもいいじゃない
「子育てに向いてない」
「いい母親できてない」
そう思ってもいいし、だからといって落ち込まなくてもいいんだよという話でした。

子供産んで母になったからといって、なんでもできるようになるわけじゃない。
自分のできることを少しずつ、子供にしてあげればいいんだと今は思います。
上の子が小学生になって、最近しみじみと「あと何年こうやって一緒の布団で寝れるかな…?」と考えるようになりました。
子育てがいちばんしんどかった時期がようやく過ぎたと思ったら、子離れの時期ももしかして意外と早いのかも、と気が付いたんです。
男の子ならきっとなおさら。
子育てちょっとラクになったー!これからは子供と色んなところお出かけするんだ!と思ってたのに…

でも今こうして気付けたのだから、これから自分の思うようにしていけばいいんだと思います。
いつか子供が巣立つそのときまで、ともに子育てがんばっていきまっしょい♪